1.はじめに
今回「予防と健康管理ブロック・レポート」を書くにあたって、私はアスベストを大きなテーマとし、それに沿ったビデオ、科学論文を参考にした。
そして、これを下に記す。
2.アスベスト 〜働災害について〜
アスベストの中でも私は「労働災害」について調べていきたいと思う。
3.論文の概略
アスベストとは「石綿」のことであり、これは昭和20年代から60年代にかけて日本で大量に輸入されていた。石綿から石綿糸、スレート、断熱材などの様々な石綿製品が作られていた。工場は主に兵庫、大阪、横浜に存在していた。そして工場の従業員、また周辺住民の中から、10〜50年を経て悪性中皮腫、石綿肺癌、石綿肺などを発症させる例があると報告されている。これらの患者の胸部CTには胸膜プラーク(胸膜肥厚斑)が見られることが多く、胸膜プラークを有する患者は上記の病気を発症するリスクが高い。たとえ高濃度の石綿に晒されていなくても、少量を長期間にわたって吸入することで胸膜プラークは出現する。
胸膜プラークが認められると、労働局に申請することで健康管理手帳が交付される。そして年二回指定医療機関で石綿健診を無料で受けられる。たとえば石綿肺癌の労災認定の基準は、石綿肺を合併していること。していない場合においては、10年以上の石綿暴露暦を有し、胸膜プラークが認められること。それさえ満たしていない場合は、乾燥肺重量1gあたり5,000本以上の石綿小体の計測、または気管支肺胞洗浄(BAL)液で1mlあたり5本以上の石綿小体が計測されること、と設定されている。
しかしこの制度が適用されるのは、直接石綿を取り扱う仕事に従事していた人のみであり、間接暴露作業者や、石綿工場周辺住民には適応されていない。
現在では、工場周辺住民を対象とする健康調査が検討されている。
医学知識のない一般人において、医師のアスベストに関しての献身的な説明が必要不可欠である。マスメディアの扇動的報道により、彼らが誤認してしまう可能性も大いにありうるためだ。しかしこれまで、健康管理手帳制度の存在を知っている医師はほとんどいなかった。そんな状況で労働局に申請してくる患者は数少なかった。つまり多くの被害者が見過ごされていたのである。
健康被害への対応についての問題は、次の三点に分けて考える必要がある。すでに健康被害を来している人、一定量以上の石綿に暴露されていて将来健康被害を来す可能性が高い人、そして少量暴露ではあるが過度の健康不安に悩んでいる人、である。2006年3月に成立した「石綿救済新法」により、病気を実際に発症している人には現在適切な補償が行われている。しかし、発症していない人に関しての補償はいまだ曖昧であり、職業において平等であるとは言い難い。
4.考察
今回のテーマは、アスベストによる労働災害である。つまりどのような職業、条件で被害を受けるのか、そして現在の労災申請の基準における問題についてである。
直接暴露するような条件で生活していた人が被害を受けるのは理解しやすい、だから早くから健康管理手帳制度に適応されていたのだ。しかし、健康管理手帳制度や労災補償制度についての説明不足のため、長年の間放置されていた。このことに関しては、完全なミスであると思われる。実際石綿における危険性が発表されたのは1950年に「特定化学物質等障害予防規則」が制定されてからである。発表されてから現在に至るまで、これといった対策が行われていなかった事実は我々の意識の低さから来たものだ。
現在、当時石綿を扱っていた大手企業の正社員には会社負担で石綿健診が行われている。しかしこれも正社員のみであり、臨時雇いで働いていた人、また廃業してしまった中小の石綿事業所の労働者には健診が受けられる、などといった通知が行われることはないらしい。暴露されていた人は大手企業に比べて、明らかに人数が多かったはずなのにこれでは意味がない。概要に書いてあるように、今では「石綿救済新法」のおかげでこのような人たちにも、労災ほどではないが補償が受けられるようになってきている。ただ、これは石綿による病気を発症した人のみが補償される法律である。
それでは間接的に被害を受けていたが未だ病気にかかっていない人はどうだろうか。石綿から作られた製品に囲まれて生活していた人は当時大勢いたはずである。たとえば横浜では当時、鶴見・京浜地区を中心に石綿製品を製造する工場が多数存在していた。工場周辺の住民は、物干しの洗濯物が綿状のほこりみたいなもので汚れたり、排水路に白い綿状のものが流れていたりする場所で生活していたのである。確実に長い期間、石綿に晒されていたはずである。
また、石綿製品は船のエンジンルームで保温、断熱のために大量に使用されていたらしい。そんな中で働いていた機関員は修理の際にこれらの石綿製品を剥がしたり、切断したり、貼り付けたりなどしていたので石綿の影響を受けているに違いない。
工場で直接的に暴露していたわけではないので、やはり石綿健康診断制度も健康管理手帳制度も知らなかった。何らかの病気を発症していない場合には石綿救済新法も適用されない。そこで大事なのは医師であると私は考える。何らかの症状を訴えてきた患者に対し、適切な対応が必要なのは百も承知であるが、「将来自分も発症するのではないか」といった不安を医師に相談する機会は珍しくはないはずである。その際の対応はきちんとするべきだし、補償制度に関しても説明する必要がある。たとえば、彼らにどのような健康管理を行うべきか、放射線被爆線量とのバランスも考えて説明しなければならないし、健康診断の枠組み、それらにかかる費用、それを誰が負担するのか、なども説明する必要がある。そのためにも医師一人一人が補償制度を理解しなければならない。
最近では医療ミスや隠蔽などの問題で、医療現場の信頼が薄れてきているが、やはり患者は医師を信頼して受診しに来ているのだ。医師と患者、この二つを繋いでいるのは信頼関係である。それを裏切るような行為をしてはならない。そのためにも一方的に説明するのではなく、患者と話し合っていくことが大事である。
また、補償制度など何も知らずに受診しに来る患者もいるだろう。彼らに中皮腫などの疑いがあった場合は、職歴などの質問をしっかり行いアスベストに汚染されているのではないか?といった意識は常に持っていなければならない。
病気を判断するだけが医師の仕事ではない。今後の最良策を懸念し、患者に提示することが必要である。
過去にこのようなちょっとした事が欠けていたことで見逃されていた事実があるのだから、将来的に医師を目指す私たちにとって意識を高めていくことは重要だ。
あと、少量暴露ではあるが健康不安に悩んでいる人においても医師の存在は大事であると考えられる。アスベストが騒がれている今であるからこそ、医学知識に乏しい人は不安がるだろう。少しの接触で病気を発症してしまうのでは、と思う人は少なくない。
論文にもあるようにこのことに関しては、マスメディアがしっかりしなければならない。誤った知識を人々に与えるのではなく、何を注意するべきなのかというポイントに重点を置いて報道してもらいたい。たとえば石綿とは、これ以下だと安全であるという閾値は存在しないことや、暴露後長年経って一定の確率で発癌するものは石綿以外にも日常にたくさん存在するということをちゃんと報道しなければならない。言ってしまうとタバコの煙、ディーゼルエンジンの排気ガス、放射線、紫外線、粉じん、さまざまな化学物質、などと石綿被害はあまり変わらないのだ。しかしこれらの発癌性物質の中の多くは、一定の規制の下で社会に許容されている、という事実をより多くの人に知ってもらいたい。
マスメディアの協力が大事であるからといって、医師がこのような不安を抱いている人に背を向けるわけにはいかない。患者の訴えに根気よく耳を傾け、石綿の健康被害、発癌性、代替アスベストなどについて、またレントゲン、CTの撮影で何がわかるのか、その被爆線量はどうか…等々、丁寧に接することを心がけたい。それだけでこの問題は大きく変化を表すに違いないだろう。
これまでは被害条件による対応問題について考えてきたが、他にも健康管理手帳制度に関する問題は存在する。例を挙げて説明する。
神奈川県内では、石綿健康管理手帳制度における指定医療機関は五つ存在していた。その中に横浜労災病院は指定されていなかったようだ。アスベストセンターの設立に伴って6番目の指定期間になったのだが、そこで問題が出た。この病院に割り振られた手帳取得者の名簿に基づいて、4月と10月に健康診断を行うことになったのだが、日時も医療機関も指定されているのでは、医療機関側にとっても健診を受ける側にとっても融通がまったく利かないのである。指定医療機関に支払われる費用の方もかなりの高額であるため問題となりうる。これらは国単位の問題であるため今後の制度の見直しが期待される。
今回のアスベスト問題は今後の医療問題にも大きな影響を与えるものであり、医師一人一人が「医師とはどうあるべき存在なのか?」という初心を思い出すいい機会になるだろう。
5.まとめ
今回のレポートのテーマであるアスベストの問題は、いまだ完全に解決されているわけではない。制度のあり方、医師のあり方、石綿により病気を引き起こした人のあり方など、問題はたくさんある。その中でも私は医師のあり方について考えてみる必要があると思った。私は医学知識が乏しい状態でこのテーマについて調べてきたが、最終的に落ち着くのはやはり、「医師は今後どうあるべきなのか?」ということだった。考察の中でも述べたように、当時の「低かった意識」の影響が今さらになって現れてきているのだ。アスベスト問題は、数ある問題の中の一つに過ぎず、それらはまた、自分を見直す機会を与えてくれる問題である。このことをちゃんと直視し今後に役立てていける、そんな医師になりたいと強く思うと同時に今の医療現場もそうあってほしい、と患者目線で強く願う自分がいた。